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「一八四、御堂関白御犬清明等奇特の事」のこと
藤原道長が法成寺建立のため、工事現場へ毎日通っていた頃、白い犬を飼っていた。あるとき寺の門を入ろうとすると、お供をしてきた犬が前に廻ってしきりに吠え、衣の端をくわえて離さない。何かわけがありそうだというので、清明を呼んで調べさせた。清明は思案の末、これは道長を呪咀する者が蠱物を通り道に埋めたのです。これを越えるとよくありません。犬には神通力があってそれを知らせていたのです。と申し上げたので、早速怪しい場所を占って掘らせてみると、土器を二つ合わせ、黄色い紙を捻って十文字に縛り、土器の底には朱砂で一文字を書いたものが見つかった
清明はこの呪法は極秘のもので余り人は知らないはずだが、ことによると道満法師のしわざかもしれない。その者を探し出しましょうといって懐紙を取り出し、鳥形に切って呪文を誦(とな)え、空に投げあげるとたちまち白鷺になって南へ飛んだ。
この鳥の落ちたところが呪咀した者の住居だと清明が教えたので、下部があとをつけてみると、六条坊門万里小路の川原院古屋の戸の内に落ち、そこを探索すると一人の僧がいた。
捕まえて訊問の末、道満法師と判明し、左大臣藤原顕光(あきみつ)の依頼で道長を呪咀したと白状したので、本国播磨へ追放された。顕光は道長の従兄弟にあたり、平素から無能扱いされたのを怨んで死後怨霊になり、道長に崇ったと伝えられています。
室町時代の播磨の地誌『峰相記』によりますと、道満の出身地播磨国佐用の奥に流され死に、子孫は瀬戸内寄りの英賀(あが)・三宅方面にひろがり住んで、陰陽師の業についだといわれています。
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