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陰陽道は古代中国の陰陽五行説に基づき天文や暦、占術に関係する。日本には6世紀初めごろ伝わったとされ、宮廷や公家の間に広がっていった。陰陽五行説は陰と陽の2つの「気」を基にした陰陽説と、森羅万象が「木、火、土、金、水」の5つの要素で構成されるとする五行説が一体となったもの。これを基に地形や風の流れ、方位などで開運、吉凶判断をする風水学が生まれた。陰陽道と風水とは同一ではないが、ともに陰陽五行説に由来している。
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兵庫県佐用町の道満と晴明の塚近くには、京を追われた道満、追ってきた晴明が矢を放ちながら戦ったと伝えられる「■飛(やりとび)橋」や、敗れた道満の首を洗ったという「おつけ場」がある。このところの陰陽道ブームで訪れる人が増えている。県立西はりま天文台公園には来年秋、口径2メートルの国内最大の天体望遠鏡が導入される予定。
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◆ 妙な老人 髪は白く 蓬のごとく ◆
清涼殿――
階(きざはし)の上の簀(すのこ)に、晴明は座している。
晴明のすぐ前に座しているのは、妙な老人であった。
髪は白く、ぼうぼうと蓬(よもぎ)のごとくに伸び、やはり白い髯(ひげ)を生やしている……薄い嗤(わら)いを浮かべている唇から覗(のぞ)いている歯は、黄色く、長い。
蘆屋道満――
……殿上に上ることなどできぬ身分の道満なのだが、この日だけは、特別に帝(みかど)から許可が下りている。
夢枕獏 「陰陽師 鳳凰ノ巻」より
安倍晴明と蘆屋道満が村上天皇(在位十世紀半ば)の前で呪術を競い合う場面だ。
この言い伝えも後世の創作だろう。道満に関する史実と思われる記述は少ない。しかし、ずば抜けた陰陽師としての力からか、晴明との対決の逸話や伝説は江戸時代に「安倍晴明物語」が刊行されて世間に広まり、歌舞伎でも「芦屋道満大内鑑」などの題目で演じられてきた。
この天覧の対決は、道満が、目の前に示された箱の中身を大柑子(夏みかん)十五個と言い当てるが、直後、晴明が呪術を使って大柑子を十五匹のネズミに変えて勝つ。敵役、道満は常に晴明に勝てない。勝負の様子は、葛飾北斎が「易術を競ふ」と題した絵手本に描き、京都府立総合資料館に所蔵されている。
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