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弓削是雄
『今昔物語集』やその曲拠になったらしい『善家異記』にすぐれた占術の例話が収められています。
貞観六年(八六四)、伴宿禰世継(とものすくねよつぎ)は、朝廷の穀倉院の交易使として東国に出向き、数日後、任務を終えて帰京の途、近江国勢多駅に宿泊した。そのころ、その国の介藤原有陰の館で弓削是雄を招き、属星祭(本命の星をまつる陰陽道の祭り)を営むとのことで、是雄と同宿した。その夜、世継は悪い夢を看たので起きてから是雄に占ってもらった。是雄は式占を試みた結果、世継に身の危険を教え、家に帰るなと告げた。
世継は数日出張して帰心矢の如く、また多くの公物・私物をもっているのでぐずぐずしておれない。どうしたら災難をまぬがれようかときくので、是雄はあなたがどうしても帰宅したいなら、あなたを殺そうとする者が丑寅=北東すなわち鬼門の方に隠れているから、弓に矢をつがい、曲者の隠れていそうなところに向かって弓を推ししあてて、早く出てこい、さもないと直ちに射殺するぞと一喝を食わしてやりなさい。そうすれば自然、事は明らかになるでしょうといった。世継は教えられたとおり、家に着くと丑寅の角の薦(こも)をかけてあたるところに向かって威喝すると、果たして一人の法師が現れた。これを捕らえ訊問すると、彼は世継の妻と通じて世継を殺すつもりであったと白状したので、この法師を検非違使(けびいし)に渡し追放してしまった。世継は命をとりとめ、あらためて是雄の方に向かって伏拝んだという。。
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