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平安初期の陰陽家
平安朝は律令制の崩壊がすすみ、北家藤原氏が政権を握るに伴い陰陽寮官僚も天皇や公家の私的生活に奉仕する方向に進み、禁忌や物怪を強調し、頻繁に卜占を行って日常化し、宮廷人の有職的で教養的な知識とするに至った。そうしたところからし少数の専門家の家筋が生じ、宮廷社会の因習的形式的な権威づけに陰陽道は大きな役割を演じることとなった。
1、陰陽道の名人たち
平安初期、九世紀より帰化系でない家筋、あるいは日本に渡来してから何代もたち日本化した家筋に、非凡な才能を持つ名人が相次いで登場した。
春苑玉成 はるぞののたまなり
刀伎直浄浜 ときのあたいきよはま
大春日真野麻呂 おおかすがまのまろ
刀伎直(滋岳)川人 ときのあたい(しげおか)かわひと
笠名高 かさのなだか
日下部利貞 くさかべとしさだ
弓削是雄 ゆげのこれお
家原郷好
三善清行 みよしきよゆき
上記の者は、中央の下層官僚か地方官僚の地位に止まり、才能のあるわりには恵まれなかった。
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